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熊本地方裁判所八代支部 昭和30年(ワ)121号 判決

原告

宮川義男

被告

村橋進

主文

被告は原告に対し金六千円及びこれに対する昭和三十年九月九日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告その餘の請求を棄却する。

訴訟費用は三十分し、その一を被告の、その餘を原告の負担とする。

事実

(省略)

理由

原告が本件建物につき被告を相手方として、所有権移転登記手続請求訴訟を提起し、右訴訟の第二審及び上告審において、いずれも原告勝訴の判決言渡があつたことは当事者間に争いがない。原告は昭和二十四年十二月二十三日右建物を被告から買受け所有権を取得したと主張するから考えるに、成立に争のない甲第一乃至三号証原告本人尋問の結果を綜合すれば、被告は原告から昭和二十四年十二月七日から同月二十三日までの間に数回に亘り合計金二万七千円の貸与を受け、右最終借入日の同月二十三日、被告所有の本件建物及び八代市永碇町字永碇九百七十二番宅地三十二坪、同所九百七十三番の一宅地百七十坪、同所九百七十五番宅地六十四坪を売渡担保の目的で原告に譲渡し、且昭和二十五年五月三十日までに右債務を弁済しないときは、その弁済に代え本件建物及び右宅地合計二百六十四坪を原告の所有に移す旨代物弁済の予約をしたところ、被告が右弁済期日に弁済をなさないため、約旨に従い原告は昭和二十五年五月三十日の経過と共に本件建物及び前記宅地二百六十四坪を代物弁済として受け、所有権を取得したものと認められる。被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

よつて、被告が右建物を解崩したか否かを審理するに、本件建物が現存しないことは当事者間に争いがなく、証人有馬広喜の証言により成立を認められる乙第一号証、証人有馬広喜の証言、検証の結果、鑑定人谷岡一磨の鑑定の結果に弁論の全趣旨を綜合すると、本件建物の構造は草葺、雑木丸太を使用した荒壁の物置で、十二坪の部分に外壁を廻らし、両袖に掘立式丸太の支柱で下屋を降したものであり、昭和二十六年頃までに右外壁を廻らした部分は約九十年を經ているものであること、右建物は昭和二十五年七月頃の台風で相当傾斜しており、用材の虫食、腐触、雨洩り等のため、使用に耐えない状態にあつたこと、被告は原告主張の本件建物を含む前記物件に対する所有権移転登記手続請求事件の第一審において勝訴の判決言渡を受けていたので、昭和二十六年十月頃右建物を解崩し、その用材を処分したことが認められる。証人三池岩雄(第一、二回)の証言及び被告本人尋問の結果の中右認定に反する部分は措信し難い。しからば、被告は少くとも過失により本件建物に対する原告の所有権を侵害したものといわねばならない。而して被告が第一審において勝訴した前記訴訟は、登記請求権の存否につき判決があつたものであつて、もとよりその請求原因において主張された所有権の存否の確定について影響がないばかりでなく、右訴訟も未だ控訴審に繋属中で不確定の状態にあつたものであるから、右訴訟の第一審において被告が勝訴の判決を受けたからとて、被告の過失責任を免れしめることはない。

次に損害額につき考えるに、前記各認定の資料に供した各証拠に成立に争のない乙第二号証、証人小島弥三郎、同田中義治の各証言を綜合すれば、本件建物は被告の先代仙蔵が昭和六年一月二十六日訴外有馬寅吉から代金五十円で買受けたものであること、右建物の昭和三十年六月当時を基準とする想像上の鑑定価格(経過年数零の場合)は金九万円餘と推定されること、右建物は前記認定の構造の物置であつて、約九十年を経過し、建物の主要部分は使用に耐えない程度に腐触、荒廃していたこと、右建物を解崩した用材の価格は二、三千円程度であること、原告は本件建物を、その敷地を含む八代市永碇町九百七十二番宅地三十二坪外二筆合計二百六十四坪と共に昭和二十五年五月三十日の経過により被告に対する貸金債権金二万七千円の代物弁済として受領したものであること、本件建物は昭和二十六年免税点一万円以下の建物と評価され固定資産税を免税されていたことが認められる。右認定に反する証人三池岩雄(第一、二回)の証言、原告本人尋問の結果は措信し難い。以上によると本件建物の解崩時である昭和二十六年十月当時の本件建物の価格は最高一万円、最低二千円の範囲であると認定するのが相当であり右事実に前記認定の事情を彼是綜合すると、本件建物の解崩滅失時の価格は凡そ六千円であると認められる。従つて、原告は被告の不法行為により、右建物の滅失時の価格である金六千円の損害を蒙つたものといわねばならない。

原告は本件建物の価格は二十五万円であると主張する。而して原告が何時を基準として右の価格を主張するのか、必らずしも明かでないが、物の滅失による不法行為上の損害賠償額はその物の滅失当時における交換価格によるべきものと解すべきであり、本件建物の滅失当時の価格が二十五万円に達しないことは前記認定により自ら明かであるから原告の右主張は到底採用し難いものである。若し、本件建物の解崩当時の価格が原告主張どおり金二十五万円若くはそれ以上であるとすれば、むしろ、原告はその約一年五月位前の昭和二十五年五月三十日の経過により、代物弁済により本件建物の所有権を取得したことはないものというべきであろう。すなわち、本件建物を原告が、取得した経過は冒頭認定のとおりであり、かゝる代物弁済の予約の効力は特段の事情がない限り右債権額と代物弁済の目的たる物件の価格を対比して考えるのが相当であるから、右代物弁済の目的たる物件中本件建物だけで既に金二十五万円以上の価格があるとせば、原告は僅か金二万七千円の債権を消滅させることの対価として、右建物の外に前記宅地二百六十四坪についても代物弁済として所有権の譲渡を受ける契約をしたものであつて、そのこと自体暴利行為を目的とする公序良俗に反する無効の契約ではないかとの疑を免れないものである。

よつて、原告の本訴請求を、原告が被告に対し、金六千円の損害金及び不法行為後であること明らかな昭和三十年九月九日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、その餘を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 西辻孝吉)

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